2018年3月11日日曜日

誤った報告が国を誤らせる

この記事、長々と何を云いたいのかと思えば、嘘付き朝鮮人の
民族資質ではないか、其れを日本の秀吉まで
引っ張り出すんじゃないよ。
明日の12日には日本に来て特使の説明があるらしいがどんな
結末やら・・・
韓国は南北緊張の当事国なんだから、もっと緊張しろよ。
米朝会談が失敗すれば、ソウルは火の海、国民はおろか
軍隊まで逃げんなよ・・戦え、
 
【コラム】誤った報告が国を誤らせる

427年前に日本に派遣された朝鮮通信使ほど韓国の歴史で
長年非難される特使団はいない。
誤った報告が国を誤らせたと厳しい評価を受けている。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)をテーマにする時代劇には必ず
登場する有名な場面がある。
王が日本から帰った使節に聞いた。
「必ず戦争が起きる」という意見と
「戦争が起きるような情勢は見られなかった」という意見に
分かれた。
論議の末、平和論を支持し、王もその道を選んだ。その結果、無防備で日本の襲撃を許したというストーリーだ。

当然戦争の可能性を否定した側が罪人になった。
特使団の副使として加わった金誠一(キム・ソンイル)だ。
彼に対する責任追及は一時代では終わらず、情勢を見誤った
無能な人物として批判された。しかし、
金誠一は有能な学者、官僚だった。
義兵の将として、晋州城を守った晩年の大活躍からも分かる
通り、その態度はおびえとは程遠いものだった。このため、
彼の判断ミスは韓国史最大のミステリーにも数えられる。

我々にとって、当時の日本は北朝鮮のような存在だった。
情報がほとんどなかった。
日本に使節を派遣したのは147年ぶりだった。
九州の領主らと会い、日本の中央政権の実力者は好戦的だと
いう話だけ聞いて戻った。
権力者の本性はうわさよりも好戦的だということも今の
北朝鮮と似ているかもしれない。
悪名高い豊臣秀吉だ。
後日日本は特使団の様子を険しい顔をした秀吉の前で
ひれ伏す形で描いた。
朝鮮王朝実録を見ると、特使団の接見は礼節が簡素で、
自由なものだったという。
秀吉が幼子を抱いていて、小便をかけられる場面も登場する。

金誠一はそんな光景を「傍若無人」だと感じた。
親しく付き合えない奴らだと思ったのだ。
彼は頑固な儒学者だった。その上に儀礼を重視した。
中国中心の世界観のせいで、現地で見た日本の武力を
「犬や豚の虚勢だ」と表現した。
同じ場面を見た正使、黄允吉(ファン・ユンギル)は秀吉に
ついて、「目が輝き、大胆さと知略がある」と語った。
金誠一は「目がネズミのようで、怖がるほどの偉人ではない」と主張した。
金誠一が民心の動揺を懸念し、本心とは異なる意見を
具申したという記録もある。しかし、
それは金誠一の知性を物語るとしても、報告によって
もたらされた残酷な結果は変わらない。
偏見はそれほど恐ろしい。

重臣の派閥も国の運命を狂わせた。
特使団が日本に向かう際、朝鮮は2大派閥のうち
「西人」主導の時期だった。このため、西人が正使、
「東人」が副使を務めた。西人主導の状態が続いて
いたならば、朝鮮は正使の戦争論を採択したはずだ。
守りに力を入れ、少しでも庶民の被害が軽減できたかも
しれない。しかし、
1年後に帰ると、朝鮮では政変が起き、東人が主導権を
握っていた。東人の副使が唱えた平和論が採択されたのは、
そうした派閥の論理が作用した結果だ。
国家運営を派閥の利害に委ねてしまった。
勿論最終決定権者の王が戦争を恐れたため、そういう決定に
なった側面はある。特使の偏見、重臣の派閥、王のおびえが
重なり、翌年に日本の船が釜山沖を埋め尽くした際、
釜山鎮を守る将帥は影島で狩りの最中だった。

韓国史は需要な瞬間に運に味方されない。

秀吉は明と戦うから、朝鮮は道案内をしろと要求した。
しかし、1年もたたずに日本は明と交渉し、朝鮮八道の半分を
手に入れる方向へと目標を改めた。
実は本来の目標がそうだった。北朝鮮は
「我々の核の手中に米国がある」と大言壮語する。
それでいて、「我々は一つだ」と韓国に手招きする。
北朝鮮は米国と渡り合うのに韓国に道案内しろと
言っているのだ。北朝鮮も承知の上だ。
彼らの目標は韓国に米国行きの案内役をさせることだ。
米国との核交渉で米国を縛り上げ、次に韓国を
呑み込もうとしているのだ。
北朝鮮がこの目標を放棄したことはない。

このほど北朝鮮から戻ってきた特使団が6項目の南北合意を
発表した。
うち北朝鮮が核兵器だけでなく、従来式兵器も韓国には
使用しないと確約したとする5番目の項目に悲哀を感じる。
道案内さえしてくれれば殺さないと言っているようなものだ。

今回の特使団は同じ世界観、歴史観を共有する人たちの
集まりだ。
北朝鮮に対するバラ色の偏見も似ている。
特使団は金正恩(キム・ジョンウン)の大歓迎を受けた。
命令を受けて動いた人がその結果を報告することを
「復命」という。
北朝鮮への特使団の復命は昔の日本への特使団の復命と
同様に歴史的に重要だ。
このほど明らかになった彼らの復命は、金誠一の
平和論よりも時代錯誤的だ。
特使団の平和論に心が傾いていることにも昔と同様に
暗うつな思いだ。
偏見、派閥、おびえ、そして報告が国を誤らせると
いうことは決して過去の話ではない。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)社会部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

0 件のコメント:

コメントを投稿