2018年3月23日金曜日

「洗濯していたところ、日本巡査に連れ去られた」… 慰安婦被害者事例集を出版

一日に60人~~??、一人15分としても半日以上時間が
懸る計算だが、其れに加え朝は選択・掃除、昼は弾薬運び
其れで一応12時間が経過、後12時間で60人相手では
日本兵一人当たり、5分か・10分か~~~??
日本兵はそれほど【早漏】か、其れに売春婦が5人いたとして
一日日本兵が売春宿に300人、これが平均とすれば
こんなんで戦闘状態が保てる~~か、朝鮮人ならばすぐに
地面にひれ伏して【降参】だろうが日本兵は違う。

「洗濯していたところ、日本巡査に連れ去られた」…
   慰安婦被害者事例集を出版
2018年03月22日16時37分 [中央日報/中央日報日本語版]

1945年10月、
タイ・ウボンラーチャターニーで撮影された慰安婦女性写真。

右はタイでノ・スボクさんの家族が運営していた喫茶店と
家族。(写真=ソウル市) 

貧困のせいで14歳の幼い年に嫁に行くことになった
ノ・スボクさん。
ノさんは21歳になった年に家政婦として働きに行った
釜山(プサン)で洗濯をしていたところ、日本巡査に
連れ去られた。
40日余りの航海の末にノさんが到着したところは
シンガポール。
彼女はそこで地獄のような慰安婦生活を余儀なくされた。
朝には軍人の服を洗ったり清掃をしたりし、午後には弾薬筒を運びながら一日に60人の兵士を相手にした。
このように8カ月を過ごした後、タイに移されたノさんは
日本が連合軍に降参すると英国軍の捕虜収容所に収容された。戦争が終わった後、彼女は故郷に戻ることができず
マレーシア、タイなどの地域を転々としたあげくにタイで
結婚して家族を作った。
2011年、タイで死亡したノさんは生前に
「やっと命だけをつないでいく生ける屍に他ならなかった」と証言した。

旧日本軍慰安婦被害者16人の生々しい証言と米国やタイ、

英国の現地調査を通じて新しく発見された資料を盛り込んだ
事例集『連れ去られる、捨てられる、私たちの前に立つ』が
22日、出版される。ソウル市がソウル大学人権センターの
鄭鎮星(チョン・ジンソン)教授研究チームと共に発掘した
事例集の副題は
「写真と資料で見る旧日本軍慰安婦被害女性の話」だ。

この事例集は慰安婦被害女性の生涯を扱うことに集中した。

ソウル市が昨年発刊した証言集が被害状況の説明に焦点を
合わせたとすれば、この事例集には植民地社会でどのような
生活をして連行されるようになったか、帰還旅程、帰還後の
生活まで説明する。

特に、その間被害者の証言があっただけで大きく
注目されなかったタイの慰安婦関連資料が目を引く。
事例集にはタイのカーンチャナブリー・アユタヤ収容所の
他にもウボンラーチャターニー地域に慰安婦がいたとの
ことを見せる資料が盛り込まれた。
ウボンラーチャターニー収容所を管理した英国軍大佐が
朝鮮人慰安婦5人の写真を残し、回顧録に彼らが助けを
求めた事実を残したものだ。

韓国政府に被害登録ができなかった被害女性の話もある。
被害が明らかになったがすでに亡くなった被害者、中国に
住みながら国籍回復をあきらめたか国籍回復中に
亡くなった被害者、遅まきながら被害を公開して政府登録の
過程を進めていくうちに亡くなった被害女性の話だ。

事例集は22日から購入できる。
ソウル市は旧日本軍慰安婦に関する歴史的事実を知らせる
市民を対象にした講演会も開催する。
ソウル大学人権センター関係者は「慰安婦被害女性の話を
中心に旧日本軍慰安婦問題の歴史を理解できる契機になれば

良いだろう」と話した。
ソウル市関係者は「これまでは生存しておられる
慰安婦被害者の証言がこれを代替したとすれば、これからは
事例集のように資料と証言集に記録して史料として
体系的に管理し、具体的証拠を通じて慰安婦の実態を
明確に証明していきたい」と明らかにした。

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