2012年8月27日月曜日

尖閣諸島、竹島、そして北方領土、

今、日本の領土問題が新聞紙上を賑わしているが、今日は北方領土について書きたいとおもう。
このサイトにロシアからのアクセスが一番多く、迷ったのだが?????。

まず地図をみてもらいたい。


●日露通好条約

 安政元年(1855)伊豆下田で「日露通好条約」が締結されますが、この条約
 で日ロ両国の国境は「択捉」「得撫」両島の間と決められました。
 即ち、択捉島から南は日本の領土とし、得撫島から北は、ロシア領土とする。
 樺太は従来どおり、国境を定めず両国民の混住地と定められました。


●樺太千島交換条約

 明治8年(1875)樺太、千島の交換条約を結び、樺太を放棄する代償として
 ロシアから千島列島を譲り受けます。
 列挙されている島々は「得撫島」以北の18の島々であって、「択捉島」以南
 の北方四島は含まれていません。

上記の二つ条約は戦争の決果結ばれたものではなく、日本とロシア平等条約であり
この時点で、日本の領土は千島18島を含む。
日本は千島最北の占守島までを主張できるのだ。

ここからの記事に注目してほしい。

日ソ中立条約(にっソちゅうりつじょうやく)は、1941年(昭和16年)に日本とソビエト連邦(ソ連)の
間で締結された中立条約。相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文、および、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの
領土の保全と相互不可侵を謳った声明書から成る。
有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、
さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。


日本帝國及「ソヴイエト」社會主義共和國聯邦間中立條約
通称・略称 日ソ中立条約
署名 1941年4月13日(モスクワ)
効力発生 1941年4月25日
条約番号 昭和16年条約第6号


8月 8日 ソ連、対日宣戦布告
8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
8月11日 ソ連、南樺太の国境を侵犯し侵攻
8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定。在スイス加瀬公使、在スエーデン岡本公使を通じ、米・英・ソ・中に、ポツダム宣言の無条件受諾を通告する。
8月15日 日本国民に向けて玉音放送
8月18日~8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面より千島列島に侵入する(占守島の戦い)。以後、得撫島以北の北千島を占領
8月25日 南樺太を占領
8月28日~9月 1日 択捉・国後・色丹島を占領
9月 2日 連合国への降伏文書に調印。(一般命令第一号発令。本命令により、千島の日本軍は赤軍極東戦線最高司令官に降伏することが義務付けられた)
9月 3日~9月 5日 赤軍が歯舞群島を占領
占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」にしたがって行われた。翌年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、竹島・琉球・千島・歯舞群島・色丹島・南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国の領土に編入している。サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が占領した島々を、ロシアが現在も実効支配している。

日本に対してロシアは連合国の一員ではない。
1945年8月8日は日本とソ連の中立条約が6年も残っている。
条約破りのイカサマ、国際法など無視したロシア人、スラブ人種は信用できない。

9月2日の降伏文書調印までに、ソ連は北海道を占領したかったのであろうがそうはうまく
いかなかった。

これも占守島守備隊、南樺太守備隊の多くの日本人将兵が血を流し自国のの防衛の為に
戦ってくれたおかげだと感謝の念に絶えないところだ。

以上、歴史上の事実をあげて主張するものである。
おそらくロシア人はこんなことはしらないであろう。
自国に不利な情報は国民に知らせないのが共産主義、社会主義の国であるから

。。。。。











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