2015年5月12日火曜日

現代韓国と、ハメルの朝鮮幽囚記

現役の副総理の曽祖父の名を出し、歴史、妄想の捏造か・・あきれたもんだ。
この老人の告白がすべて事実になってしまうのだろうよ。
”空を見つめて絵空事を語る”か・・?
56人がなくなったのは事実かも、そりゃ事故死や、病死もあるだろう・・?

그들은 도둑질을 하거나, 거짓말을 하거나, 속이거나 하는 강한 경향이 있습니다. 그들을 별로 신용하면 안됩니다. 다른 사람에게 손해를 주는 것은 그들에 있어서 공훈과 생각되어, 치욕과는 생각되고 있지 않습니다.  (p.  52) 
彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。
彼等をあまり信用してはなりません。
他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、恥辱とは
考えられていません。 (p. 52)

「麻生炭鉱で一日12時間の切羽労働…死ぬほどむち打ちも」
2015年05月11日09時17分 [中央日報/中央日報日本語版]

コン・ジェスさん(92)   「石炭の粉が舞う切羽(坑内の現場)で
一日12時間以上働いた。一息つこうとすると間違いなく棒が飛んできた。
逃げて捕まって死ぬほどむち打ちにもあった」

9日午後2時、光州市華亭洞(クァンジュシ・ファジョンドン)の
青少年文化の家。白髪になったコン・ジェスさん(92)が、日帝強制占領期間に福岡県の麻生炭鉱に強制的に連れて行かれた経験談を打ち明けた。
日本が強制徴用施設をユネスコ世界文化遺産に登録しようとすることに反対して
市民団体「勤労挺身隊のおばあさんと共にする市民の会」が作った
行事でのことだった。

コンさんは時折、空を見つめたりもしながら話を続けた。
「鞭打ちも直接せず朝鮮人に仲間を殴らせた。それと一緒に
『朝鮮人はいつも嘘ばかり言う』と言われたが、今日本がしていることが
嘘や偽善でなければ何だ。
日本の姿勢があまりにもあきれてこのまま死んではいけないと思い、最後に
なるかもしれない証言をするのだ」。

コンさんは「ご飯などどこにあったものか。苛酷な労働をさせながら一日二食の
豆かすもまともに与えられなかった」としながら手の甲で涙をふいた。彼は
「韓国が、日本の恐れる丈夫な国になるよう若者たちが団結してほしい」と
頼んだ。
コンさんは22歳だった1943年、麻生炭鉱に連れて行かれて2年余り
働かされ、光復(解放)後に故郷の京畿道楊坪(キョンギド・ヤンピョン)に
戻った。
彼は強制労働当時、腸チフスにかかったことも伝えた。
「43年春だった。誰もが伝染病にかかって…。病院に約200人が行ったが
一日寝て夕方起きると20~30人ずつ亡くなっていた。
病院に行った人々の中で生きて出てきた人は数人にもならなかった」。
彼が連れていかれた麻生炭鉱は、日本の副総理兼財務相の曽祖父である
麻生太吉が作った。
麻生炭鉱には当時朝鮮人7996人が連行されて行き56人が亡くなった。
7996人は日本の単一企業に強制労働に行った中では最大規模だ。

この日の行事では、日本がユネスコ世界遺産登録を推進する長崎県の
三菱造船所で強制労働をしたキム・ハンスさん(97)も証言しようとしたが
前日に交通事故にあって参加できなかった。
コンさんがいた麻生炭鉱は、日本が推進するユネスコ世界文化遺産の対象には
入っていない。

「勤労挺身隊おばあさんと共にする市民の会」は16日、同じ場所で
パク・サヨンさん(92)を招いて証言を聞く。
パクさんは長崎県の佐世保炭鉱で強制労働をした。
31日には強制労働・原爆被害者遺族らが証言者として出てくる。
市民の会は来月3~7日、長崎一帯の強制労働現場を視察する。

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