2015年8月1日土曜日

玉音放送、昭和天皇

初めて全文を聞いた、“あの、耐えがたきを耐え、忍びがたきをしのび・・”
全文の後半にちかい・・
私は昭和生まれだし、昭和天皇には特別な感情がある、明治天皇は日本の
近代化に多大な影響を与え、昭和天皇は日本の国難に対し、ご聖断と
云われる、当時の日本と日本人にはとても決断出来なかった事を、自ら
行った、日本の近代史に残る、偉大な天皇と私は認識している。
東アジアにおいて、さほど人種的に違わない、特亜三カ国と日本はこうも
違うのか、日本と日本人は歴史と伝統を護ってきたかいがあろうというもの。

聖断の緊迫感今に 原盤初公開 70年ぶり再生、
デジタル録音 御文庫付属室も
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缶に収められていた玉音放送の5枚の原盤正本 
=7月24日、皇居・宮内庁庁舎(代表撮影) 

宮内庁は1日、戦後70年にあたり、昭和天皇が国民に終戦を伝えた
玉音放送の原盤と再生した音声、昭和天皇が玉音放送を聴いた皇居内の
御文庫(おぶんこ)付属室の写真などを公開した。
原盤と音声の公開は初。
付属室は、終戦の聖断を下した御前会議が開かれるなど終戦間際の重要な
舞台だった。

終戦を伝えた玉音放送の音声はこちら

玉音放送は、終戦前日の昭和20年8月14日深夜、昭和天皇が
宮内省内廷庁舎(第二期庁舎)2階の御政務室で読み、
隣室でNHKの技術職員が録音した。

録音は2回行われ、2回目(原盤正本)が翌15日正午から
ラジオ放送された。
原盤正本は21年7月に連合国軍総司令部(GHQ)に一時貸し出され、
その後は皇居内で保管されていた。
1回目(原盤副本)は50年にNHK総合放送文化研究所に貸し出され、
NHK放送博物館で管理しているが傷んでおり再生は不能だ。

戦後70年を迎えるにあたり、宮内庁が戦争関連資料の公開を検討。
天皇、皇后両陛下のご了解を得て、原盤正本を確認したところ、同時に
録音した2枚組みと3枚組みのうち、2枚組みの完全再生に成功し、
デジタル録音した。当時のレコードは録音可能な時間が短かったため、
複数枚が組み合わされたという。

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御文庫付属室は昭和天皇の住まいの御文庫に付属する防空施設として
開戦前夜の16年9月に完成。鉄筋コンクリート造りの
約630平方メートルで会議室、事務室などからなる。一般に
防空壕(ごう)と呼ばれるが、標高36メートルの地主山(じしゅやま)の
一部を崩して建造し、土が盛られており、実際は地上1階にあたる。

宮内庁が皇室用財産として手つかずのまま管理。
内部は腐食が進んだ。
皇太子さまと秋篠宮さまは7月に中を視察された。宮内庁は
「歴史的資産として今後も原則、手を加えずに管理していく」としている。



 ■御文庫付属室 昭和20年8月10日、昭和天皇がポツダム宣言受諾の
聖断を下した御前会議や、同14日に戦争終結を決定した御前会議が行われた
皇居・吹上御苑内の防空施設。16年8~9月、陸軍により建設された。
国有財産台帳上の名称は「御文庫付属庫」。

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