2017年2月17日金曜日

金氏王朝の宮廷残酷史

朝鮮人の彷徨の歴史って訳だ~~、悲しみの歴史だ有史以来のDNAは
救いようがないってことか。
   
【萬物相】金氏王朝の宮廷残酷史

故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男で、これまで長い間海外を
放浪してきた金正男(キム・ジョンナム)氏が13日、マレーシアの
クアラルンプール空港で殺害された。
腹違いの弟である金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が送った
女性工作員の犯行とみられている。
金正男氏の暗殺は2012年から準備されてきたようだが、韓国の
情報機関・国家情報院は今回の暗殺を「スタンディングオーダー」と
呼んでいる。
これは取りやめの指示がない限り、成功するまで有効な命令のことだ。

共産主義国ではたびたび粛正が行われてきたが、これは権力者による
政敵の除去だけではなく、体制そのものを維持する意味合いもある。
これを最も執拗(しつよう)にかつ残酷な形で行ってきたのがまさに
北朝鮮の金氏王朝だ。

まず1代目の故・金日成(キム・イルソン)主席は1950-60年代に
南労党派(南朝鮮労働党の流れをくむグループ)、
延安派(中国・延安を拠点に活動していたグループ)、
ソ連派(旧ソ連の国籍を持つグループ)などの政敵はもちろん、自らの
親衛隊でもあった甲山派(戦前から北朝鮮で活動していたグループ)に
至るまで、かつての同志を次々と処刑し、彼らの血の上に自らの
独裁体制を築き上げていった。

この残酷な遺伝子は1970年代から権力を持ち始めた
故・金正日(キム・ジョンイル)総書記にも受け継がれた。
ちなみにこの頃、金日成主席は
「私も金正日の指示を受けて動いている」と語ったことがあるそうだが、
そのあつい信頼を盾に、金正日総書記は王朝内部の粛正を進めていった。
まず継母である金聖愛(キム・ソンエ)氏とその息子で腹違いの弟である
金平一(キム・ピョンイル)氏を権力の座から引きずり下ろし、叔父の
金英柱(キム・ヨンジュ)氏を地方に追放した。当時、
旧東ドイツに追いやられた金平一氏はその後ずっと東ヨーロッパ各国の
大使を歴任し、現在もチェコ大使を務めている。
一昨年一度平壌に戻ったそうだが、これは36年ぶりだったという。
金平一氏の姉や弟も北朝鮮に居続けることはできなかった。

金正日総書記の最初の妻とされる成恵琳(ソン・ヘリム)氏のおいの
李韓永(イ・ハンヨン)氏は1982年に韓国に亡命したが、1997年に
北朝鮮工作員により拳銃で殺害された。
この成恵琳氏の長男が今回殺害された金正男氏だ。
またこの頃から金正恩氏の母・高英姫(コ・ヨンヒ)氏の偶像化が始まり、
金正男氏も少しずつ権力の座から追い落とされた。
2009年に後継者となることが決まった金正恩氏は、13年12月に叔母の夫で
自らの後見人でもあった張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長を
大型の機関銃で殺害した。
ちなみに張成沢氏の遺体は蜂の巣どころか元の形さえ残らず、しかも遺体を
戦車で踏みつぶしたという証言もある。
張成沢氏の最後はあまりにも悲惨だったようだ。

金正男氏はかつて北朝鮮の3代世襲を堂々と批判し、金正恩氏についても
「金日成主席の外見しか似ていない」などと批判的だった。
ところが2012年、金正男氏は金正恩氏に「家族だけは助けてほしい」と
手紙で哀願したそうだが、結局自分は殺害された。
金正男氏には息子のハンソル氏がいる。金氏王朝の家系図から見れば
ハンソル氏は4代目の最初の孫だ。パリで大学を卒業したハンソル氏は
12年にフィンランドでメディアの取材に応じた際、
金正恩氏について「なぜ独裁者になったのか知らない」と語っていた。
金正恩氏が今後ハンソル氏をどうするかは分からないが、金氏王朝の
宮廷残酷史がまだ終わっていない
ことだけは間違いない。

チェ・ジェヒョク論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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