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2020年7月6日月曜日

7月5日 産経抄

台湾という国、国家理念と云うか、理に沿った思考回路をしてるとおもう
ノンメモリ半導体をえらんだのはさすが・・・・・
日本がスイスを手本に腕時計をえらんだように・・・・
今回日本のスーパーコンピューター「冨獄」が世界一になったけど、
このCPUを作ったのが台湾だ、日本が設計して台湾が作った

7月5日 産経抄

日清戦争に敗れた中国清朝は、下関条約の中で日本への台湾割譲を
約した。
その際、交渉の全権を担った李鴻章がこう言い捨てたとされる。
「台湾は、鳥語らず、花香らず…瘴癘(しょうれい)(疫病)の地。
割くも可なりだ」。

▼民間に伝わる真偽不明の言葉として、ジャーナリストの野嶋剛氏が
新著『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)の
中で触れている。日本の領有当初から、コレラなど8種類が土着の
疫病として居座っていた。腫れ物のような島だったらしい。

▼かの地に赴任した後藤新平が、「公衆衛生」を人々に植え付けた
歴史は何度か書いた。
遺産を継いだ21世紀の為政者が、コロナ禍では世界に先んじて正しい
情報を集め、防疫の手を打った。
わずかな感染者と死者を出すにとどめた実績には
改めて触れるまでもない。

▼中国に急所を握られた外交も流れが変わりつつある。
コロナ対策を協議する国際会議では、台湾要人の発言が目立ってきた。
オンラインでの開催は参加者同士の距離を生むが、
国境をまたがずに済む。主催者は中国に気兼ねすることなく、台湾を
招待できるという。

▼蔡英文総統は先月の国際会議で語った。
「民主主義の重要な原則を犠牲にしなくても、感染症は抑制できる」。
民主主義の利を美声で歌う人がいる。
疫病を力ではなく策で抑え込む有能の士もいる。
「鳥語らず、花香らず」の不毛な地に与えられた天の配剤だろう。

▼台湾がコロナ禍を封じ込めた大きな要因は、
中国を信じなかったことにある。野嶋氏はそう指摘する。
情報の隠蔽(いんぺい)で全てを闇に葬ろうとした大国への
面当てである。
防疫といい中国との距離の取り方といい、かつての教え子から
学ぶことは多い。うれしいような恥ずかしいような。

2019年10月4日金曜日

「最期は日本人として」 歴史に翻弄された97歳元日本軍属

この記事を読んで、今の台湾人や、戦後生まれの台湾人の国籍ってどうなんだ。
中国籍台湾州か、それとも、独自のパスポートがあるのかよくはわからないが、
この人の気持ちもわからなくはないが、たぶん無理かも・・・・
日本人として生まれ日本人として育ち軍属とはいえ戦地に赴いたのだ、日本は母国
そう思うのはむりのないはなし、この記事を読んでて思うのはかって米国陸軍最強の
部隊と言われた442部隊の日本人二世部隊のこと、自分たちの生まれた母国米国と
親の生まれた母国日本が戦争してるさなか彼らは母国米国を選び米国を信じ戦った。
自分たちが生まれる遥か前に併合し日本人として生まれたかれらが戦後母国がない
母国が欲しい、・・・
なんとかならないものか~~~~!!

「最期は日本人として」 歴史に翻弄された97歳元日本軍属
2019.10.3 12:16産経WEST




「日本人として死にたい」と話す元日本軍属の楊馥成さん=那覇市(矢田幸己撮影)







日本統治時代の台湾で生まれ育った台湾人3人が日本国籍の確認を求めて起こす
訴訟に、原告として名を連ねる農業技術者の楊馥成(ようふくせい)さん(97)。
日本人として育ち、先の大戦では軍属として食料確保などに従事した。
歴史の波に翻弄された人生だが、日本人としてのアイデンティティーは
見失ったことはない。
「最期は日本人として死にたい」と願うだけだという。(矢田幸己)

大正11年、旧台南州の農家に5人きょうだいの次男として生まれた。
旧日本名は大井満。
姓は生家の地名にちなみ、名には井戸の水が満ちるように、との意味が込められた。

学校では、日本語を主とする初等教育を受け
「日本人の先生によくかわいがってもらった」。
本土と同じく「修身」の科目があり、幼少期から日本人としての素養を身につけた。

台湾から夏の甲子園大会に出場し、準優勝を遂げたことで知られる
嘉義(かぎ)農林学校(現・国立嘉義大学)を経て、州の農林技士に。ある日、
新聞広告の「軍属募集」が目に留まった。
外地の台湾では当時、特別志願による募集があり、
「いずれ軍に行くのだから」と応募。50人枠に約千人が殺到する中、合格した。

戦時中は第7方面軍の補給部隊に配属。食料確保のため、シンガポールで
10ヘクタールもの牧場を耕し、野菜を作るなどした。
「軍属とはいえ、日本のためを思って働いた」


終戦後、台湾へ復員し、農林関係の仕事を再開した。しかし、中国大陸から
台湾へ移った蒋介石・国民党政権の異端分子との嫌疑をかけられ、1950年8月に
投獄された。
獄中生活は7年に及び、激しい拷問で奥歯が2本欠けた。
「私は罪を認めず耐え続けたが、多くの同胞がいわれなき罪で虐殺された。
貴重な青春時代を奪われ、灰色の7年だった」

日本政府は昭和27年、国民政府との間で日華平和条約を締結。
日本の最高裁判決によると、同条約の発効(同年8月)をもち、台湾出身者は
日本国籍を失ったとされる。
祖国に見放されてしまったとの喪失感と「母国を持ちたい」との思いが募る。

先の大戦で日本統治下の台湾から戦地へ赴いた日本軍人・軍属は20万人以上。
うち約3万人が命を落としたとされる。
日本統治は功罪両面だが、独裁政権による戦後の戒厳下とは「比べるまでもない」と
こぼす。

歴史の波に翻弄された97年の人生。それでも、日本人としてのアイデンティティーは忘れたことがない。
「過去は取り戻せない。ただせめて、最期を日本人として迎えることができれば」と
願っている。

2018年6月24日日曜日

李登輝元総統訪日 台湾人戦没者に尽きぬ思い 

台湾も、この李登輝元総統も数奇な運命だわな~~青年期には
兄を慕い日本軍に入隊、国内で終戦をむかえ台湾に帰国、
台湾は国共内戦で国民党の逃亡基地となり、国民党の内政は
ヤクザも顔負け腐敗政治とくれば、日本色が異彩を輝かせると
いうもの。

李登輝元総統訪日 台湾人戦没者に尽きぬ思い 
台湾の複雑な戦後事情も

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那覇空港に到着し、歓迎の花束を受け取る台湾の
李登輝元総統(中央)=22日

【台北=田中靖人】台湾の李登輝元総統(95)が高齢を
押して訪日し「台湾人戦没者慰霊碑」(糸満市)の除幕式に
出席するのは、台湾出身の戦没者に対する李氏の思い入れの
表れといえる。その背景には、台湾で戦後、
台湾人日本兵の慰霊が行われてこなかった複雑な事情もある。

先の大戦で、台湾からは軍人約8万人、
軍属約12万6000人が出征し、約3万人が戦死した。だが、
終戦で台湾を接収した中国国民党政権が公的に慰霊したのは、
日中戦争で日本軍と戦った将兵ら。
日本時代の神社や寺院も大多数が壊され、台湾人日本兵の
慰霊は極めて例外的に民間でひそかに行われるだけだった。

台湾で生まれ日本兵として終戦を迎えた李氏は、総統在任中の
1990年に台中市の宝覚禅寺に有志が建立した
大戦戦没者の慰霊碑に「霊安故郷(故郷に安らかに眠れ)」と
揮毫(きごう)。
退任後の2006年には北部・烏来で、同じ文言を記した
先住民の「高砂義勇兵」慰霊碑の移転式に出席した。

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07年の訪日では靖国神社を参拝し、
合祀(ごうし)されている亡兄との「再会」を果たした。だが、
14年の雑誌の取材で、台湾出身者約2万8千柱が祭られている事実を
「日本人が知らないのは残念」と述べ、
「先の戦争における台湾人の死を無駄にしない」よう願った。

一方、台湾南部・高雄市では09年、元台湾人日本兵の手で
国共内戦や朝鮮戦争を含む記念施設が完成。
蔡英文総統が16年11月に慰霊式に出席した。

2018年4月14日土曜日

台湾・蔡総統が海軍の演習を視察 中国対抗の意図は否定

台湾も色んな意味で波乱理不尽に満ちた境遇ではあるが、
1945年日本が台湾を去り、代わりに入って来たのが国民党
言葉も良く似てる目の前の福建省の人間達らしいが、
台湾社会は一変したらしい。
1972年か中国が国連に加盟した時、台湾は脱退しないで
残ってるべきだった、常任理事国と云う肩書まで捨てて、
蒋介石か、の息子か、ちょっと短絡すぎたわ~~な。

台湾・蔡総統が海軍の演習を視察 中国対抗の意図は否定

13日、台湾北東部の蘇澳軍港で、
キッド級駆逐艦「基隆」に乗り込む蔡英文総統(中央)=
田中靖人撮影

台湾の蔡英文総統は13日、海軍が北東部・蘇澳沖で
実施した演習を就任後初めて洋上から視察した。
12日には中国の習近平国家主席が南シナ海で大規模な
観艦式に出席しており、台湾メディアはこれに対抗する
狙いがあるとみているが、蔡氏は報道陣に「過剰な解釈だ」と

否定した。

演習には、潜水艦1隻を含む艦艇20隻と航空機9機、
要員約2500人が参加。潜水艦の航行が公開されるのは
4年ぶりで、潜水艦自主建造計画の重要性を示す意図も
うかがわせた。

演習は、中国軍の上陸船団が接近しているとの想定で、
キッド級駆逐艦「基隆」からデータリンクシステムを用い、
空軍のF16戦闘機や高速ミサイル艇、フリゲート艦などを
指揮。対艦ミサイルの一斉発射による飽和攻撃を
実演するなどした。対艦ミサイル
「雄風2」の陸上配備型も登場した。実弾は使わなかった。

台湾は、中国軍に異なる戦術で対抗する
「非対称作戦」能力の構築を進めており、海上作戦を空軍や
陸上の部隊とも連携して行えることをアピールした。蔡氏は
「軍種を越えた演習により、国軍の戦力や国防の決心への
信頼が深まるはずだ」と述べた。
(蘇澳 田中靖人)

2018年3月1日木曜日

台湾独立派「住民投票を」 そろって会見、李登輝氏も出席、「台湾」名義での国連加盟も訴える

台湾の政界人はほとんどが、中華本土の系列か、いや人種的に
李・登輝さんもう100歳にちかいのでは・・
元気だよね、元気が何より、元気が一番~~~
台湾も地政学的には中華の統治をうけていないし、蒋介石に
国共内戦の折台湾は国民党の補給地として使われたし、
結果的には国民党の最後の砦となり、蒋介石も毛沢東も
独裁者で1950年代は台湾人も弾圧に苦しんだ。
小さな島だけど、独立しても経済的にはやっていけるはずだ。
ただ、安全保障はどこかと協力しなければ・・・

台湾独立派「住民投票を」 そろって会見、李登輝氏も出席、「台湾」名義での国連加盟も訴える

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28日、台北市内で、台湾独立の住民投票を求める運動の
結成式であいさつする李登輝元総統(右)=田中靖人撮影

【台北=田中靖人】
「台湾独立」の住民投票を求める政治運動の開始を宣言する
記者会見が28日、台北で行われ、独立派の政党や
政治団体の代表が一堂に会した。
会見には李登輝元総統が出席し、民主進歩党の陳水扁元総統もビデオメッセージを寄せた。
台湾独立の動きを警戒する中国を刺激する一方、中台関係の
「現状維持」を掲げて独立の動きを抑制してきた
蔡英文政権にとっても、難しい課題となりそうだ。

この日は、中国国民党政権による1947年の住民弾圧事件
「2・28事件」から71年、民主化・独立運動の
記念日でもある。運動は、
民放テレビ局「民間全民テレビ(民視)」の董事長(会長)が発起人となり、150人が署名に名を連ねた。会見には、
ヒマワリ学生運動から派生した政党「時代力量」の
黄国昌主席や、民進党の呂秀蓮元副総統も出席した。

宣言文は、2019年4月に住民投票を行い、
「台湾の人民が自ら国家の地位と前途を決める」と主張。
「台湾」名義での国連加盟も訴えている。

李氏は「住民投票で台湾を正常な国家にする」と大筋で
支持を表明。
病気療養のため仮釈放中の陳氏も、映像で
「2350万人の台湾人民の決心を全世界に知らせよう」と
呼びかけた。

2/2ページ)

ただ、領域の変更など「独立」に関係する決定は、
立法院(国会に相当)で出席委員の4分の3以上の賛成に
よる発議で憲法を改正する必要があるため、法的拘束力の
ある「独立投票」が実施できる可能性は低い。運動は、
中国に低姿勢を取る蔡政権に圧力をかける狙いも
あるとみられる。

一方、独立派が2・28事件の「首謀者」とみる初代総統、
蒋介石の遺体が安置されている北西部・桃園市の墓所に
28日、「青年独立派」を名乗る男らが侵入、ひつぎに
赤いペンキをかけた。

2017年4月20日木曜日

政治的闘争の巻き添え、台湾・銅像損壊乗り越え

八田氏の功績を批判~~、出来た米を日本人が食べる為・・?
韓国もそうだが、出来た米を全部収奪みたいな感覚でいるらしいが、
内地の日本で韓国やらから入ってくる安い米の入荷に反対していたが
台南市に有る像を台北の市議が損壊、理由は蒋介石の像の徹去の仕返し
まァ、政治的なもの~~~!?

台湾・銅像損壊乗り越え…八田與一氏の慰霊祭開催へ 5月8日
 
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壊された八田與一氏の銅像を調べる警察当局=16日、
台湾・台南市(中央通信社=共同)

【台北=田中靖人】台湾南部・台南市で日本統治時代の技師、
八田與一(はった・よいち)の銅像が損壊された事件をめぐり、
頼清徳市長は19日までに、5月8日の慰霊祭を例年通り
開催することを日本側関係者に通知した。
当局が頭部の行方を探しているほか、胸像を所有する
奇美博物館(同市)が修復への協力を申し出ている。
八田の功績には一部で論争はあるものの、犯行には各界から批判が
相次いでいる。

頼氏は事件が発覚した16日、直ちに像の修復を指示。
頭部が見つかれば3日程度、作り直しでも
1週間程度で修復できるという。

八田が建設を指揮した烏山頭ダムと周辺の灌漑施設は、嘉南平原を
穀倉地帯に変えた。八田の功績は教科書にも記載されているが、犯人の
元台北市議は「八田の歴史的評価を認めない」と供述している。

八田の功績を否定する一部の人々は、増産されたコメは
「台湾人ではなく日本に持ち帰り日本人に食べさせた」
(中国国民党所属の台南市議)などと主張。頼氏を「媚日派の犬」
(研究者)などと中傷する向きもある。
背景には、民主進歩党所属の頼氏が、公共用地から国民党の初代総統、
蒋介石の銅像を撤去したことへの反発もある。

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一方、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(駐日大使に相当)は
18日付の自由時報で「銅像は台日の友好の象徴だ。
台湾人が誤解されてしまう」と犯行を批判。総統府の黄重諺報道官は
19日、「八田氏を高く評価する行為は歴代の政府、各界が行ってきた」と述べた。

実際、国民党の呉敦義前副総統は18日、
「台湾が(日本に)割譲されたのは彼のせいではない。
善悪は分けるべきだ」と八田を擁護した。
作家の黄震南氏は、銅像は八田の生前に民衆が進んで建立したものだと
した上で、
「時代と政権を超えた農民の感謝(の表れ)だ」と指摘している。